悲しむ物体



 3.11以降、日々の生活に音楽を必要としていた人の多くが、自分と音楽との関係を、一度見失ってしまったと思う。無類の音楽好きだった人々が、口々に「いまは何も聴く気がしない」と言うのを聞いた。僕もまた、そのひとりだ。あんなに好きだったレコード屋にも、ぱたりと行かなくなってしまった。

 その理由は、磯部涼が「音楽の(無)力」という文章で的確に書き表している。なすすべのない圧倒的な出来事に直面し、僕らは散り散りになった現実を拾い集めるのに必死だった。現実を忘れ、異次元の世界に浸る音楽は、そのとき必要とされていなかった、と。

 その通りだと思う。地震、津波、原発。刻々と変わる状況に、頭は混乱し、そこに音楽を着地させる場所は見当たらなかった。そしてまた、こうも言える。破裂しそうに頭のなかを独占し続けるこの出来事を、うまく収束させ、ひと所に落ち着かせる前に、音楽を聴いてしまいたくなかった。音楽を聴くことによって、この到底捉えきれない出来事の着地点を探すことを放棄し、頭から追い出してしまいたくなかった、と。

 「音楽の(無)力」のなかで、磯部は「音楽家にできるのは無力に音を出すだけだ」という大友良英の発言に触れている。この言葉を、僕もよく覚えている。当時は9.11から一気にイラク戦争へとなだれ込むなかで、いまと同じくらい音楽家が自分たちに何ができるかを考えた時期だった。大友のこの発言は、ともすれば音楽を武器として声高に叫ぶことが期待された空気のなかで、誠実に響いた。そして、今回の原発事故を受けた大友の、「FUKUSHIMAという言葉をネガティブなものからポジティブなものへと変換するために、音楽が担える役割がある」との発言も胸を打つ。今回の出来事と音楽家である彼自身との関係を、誠実に問い直すことで導き出した答えなのだろう。

 僕は、少し焦っていたのかもしれない。あんなに好きだった音楽を、もう聴かなくなってしまうのか。磯部や大友がそうしたように、音楽を聴けなくなってしまった僕たち一人ひとりが、自分と音楽との関係を、もう一度切り結ばなければならない。僕は、大友の音楽にそのヒントがある気がして、家の棚から彼の音を探した。そして、1枚のCDを引っ張りだした。SPANK HAPPYの「FREAK SMILE」である。このアルバムの9曲目「悲しむ物体」で、彼特有の艶やかに歪んだギターが聴けるはずだ。

 そして。

 数年ぶりに聞き直して、愕然とした。この曲は、何を唄っているのか? その答えに気づくのと同時に、原みどりの泣いているような歌声が裏返った。そして、涙腺が破裂したかのように、一気に涙がこみ上げ、ぼたぼたと流れ落ちた。悲しいのかどうかさえ、よくわからなかった。ただ、曲が終わってもずっと、涙は止まらなかった。こんな泣き方をしたのは、小学生の頃に大好きだった叔父が亡くなって以来だった。叔父は、若くしてガンで死んだ。僕はそのとき、死というものはある日突然に訪れること、そして涙というものは悲しみよりもずっと早くやってくることを知った。

 アルバムのリリースは、95年の5月。菊地成孔は、阪神大震災でがれきの山となった街を想い、この詞を書いたはずだ。この曲が発表以来多くの人の涙を誘ったのは、この曲が、誰のせいでもなく死んでいった人と街に捧げた、鎮魂歌だからだったのか。

悲しみよ 雪になって この街と私を 埋めつくして
 さよならよ 歌になって この街に ずっとずっと

 

 音楽は、僕を癒しも慰めもしない。音楽は、僕に現実を忘れさせてはくれない。この現実を、忘れたくなどない。音楽はただ鏡に当たる光のように、容赦なく現実を照り返す。そして、やり場のないこの気持ちを永遠に焼き付け、頭の奥深くにそっと、鎮めていく。






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